“ジャッジフリー”という考え方。他人と比較せずに生きていく方法
“ジャッジフリー”という考え方が素晴らしかったので共有したい。
そもそもジャッジフリーとは、「人生に、上下も勝ち負けもありません」という書籍の中で登場する言葉で、もっといえば著者の造語である。
意味は、
ジャッジ=判断
フリー=制約されない
つまり、判断をしないということになる。
何を判断しないのかというと、優劣や勝ち負け、上や下などといった他者との関係について。
人は普段、自分が他人よりも優れているか劣っているかをジャッジしながら生きている。当然勝っていれば嬉しいし、負けていれば悔しい。
そんな風に一喜一憂しているわけだが、、、
それが向上心に繋がることもあれば、マイナスな部分ばかり見てしまって生きることが辛くなったりもする。
例えば、
「同僚は要領が良くて上司に気に入られているのに、自分は不器用で損な役回りばかり押し付けられる」
「あの人は生まれながらにしてお金持ちで、おまけに容姿も整っている」
「あいつはリア充だから羨ましい」
など。
さらにこういったジャッジが積み重なれば、最悪精神を病んでしまうことにもなりかねない。
そこで、それならいっそのこと判断することをやめてしまおう、というのがジャッジフリーの考え方。
ここは上下も勝ち負けもない世界 強いも弱いも 幸せも不幸も かっこいいもかっこ悪いも 老いも若いも 美しいも醜いも お金があるもお金がないも デキるもデキないも すごいもすごくないも 賢いも賢くないも どうでもいい世界 ー本文引用
ジャッジなき世界。なんと素晴らしい世界だろう。
ちなみに、このジャッジフリーには元ネタがある。それは中国の思想家・老子。
老子についての詳しい説明はここではしないが、老子の教えは生きるのが楽になるものばかりなので、人生に疲れた時などにぜひ取り入れてみてほしい。
老子に言わせれば、世の中にある物事について、いちいち「よい、悪い」「偉い、偉くない」「すごい、すごくない」というジャッジをすること自体がおかしい。これを老子は「無為」という概念で説明していますが、どんな存在でも、自然のままにいれば、ただそれだけでいい、わざとらしいことをせず、自然に振る舞え、ということなのです。これこそ「ジャッジフリー」の思想です。ー本文引用
これを甘いと取る人も中にはいるだろう。そんな人は孔子に教えを乞うといい。
「上り坂の儒家、下り坂の老荘」 と言って、人生が上向きの時は孔子、下向きの時は老荘(老子と荘子)を参考にするといいとされている。
確かにイケイケの時に老子をみても白けた気持ちになりそうだし、グッタリしている時に孔子をみても鬱陶しくなるだけな気がする。
だからこそ、自分のフェーズによって両者を使い分けるのは賢いことなのかもしれない。
ジャッジフリーでストレスフリー
ジャッジから解放されると生きるのがとことん楽になる。
他人から馬鹿にされたりマウントを取られても気にならなくなるし、逆に相手に対してはフラットな目線で接することが出来るようになる。
判断疲れしているという方はぜひジャッジフリーを試していただきたい。